冨安健洋がサッカーを始めるきっかけってどんなことだったんだろう?
実は冨安健洋のサッカーを始めたきっかけは他の子どもが始めたきっかけとちょっと違っています。
全く見かけないと言う訳では無いですが、珍しい部類の方ではあります。
プレー面だけでなく内面も知るとより一層面白くサッカーが見られるので最後まで読んでいってくださいね。
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冨安健洋がサッカーを始めたきっかけ
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— Goal Japan (@GoalJP_Official) March 24, 2020
冨安健洋がサッカーを始めたきっかけは色々と紹介されているんですが、サイトによって理由が微妙に違うんですよ。
そこで、インタビューやインターネットなどで色々と言われている冨安健洋のサッカーを始めたきっかけをまとめてみました。
Wikipediaでは「少年団に誘われたから」
冨安健洋のWikipediaを見てみるとサッカーを始めるきっかけは下記の様に書かれています。
小学生の頃に三筑キッカーズの総監督が目を見張るスピードで走っている冨安の姿を偶然目撃、冨安の知り合いの父母に「あの子を何とか(三筑)キッカーズに入れてくれん?」と依頼し、父母からチームに勧誘された冨安は結果的にサッカーを始めることになった
引用:Wikipedia
足が速いというのは一種の才能ですからめちゃくちゃ足が速い子を見つけたら何とか勧誘したいと思う気持ちはよくわかります。
この三筑キッカーズの監督さんは先見の明があったと言えますね。
事実、小学6年生時にはナショナルトレセンに選抜、その後はバルセロナスクールの福岡校のコーチからFCバルセロナに推薦されるという正にサッカーのエリートコースを歩いています。
結果として一家でスペインに移住するのが難しいという理由でこの話は消えたそうなのですが、実現していたら久保建英とほとんど同じルートを辿っていたことになりますね。
FCバルセロナのカンテラは育成が世界屈指である事は広く知られているのでもしそのままFCバルセロナに移籍していたらどうなっていたんだろうと想像すると一ファンとしては惜しい事をしたなと思います。
イタリア雑誌のインタビューでは「家に置いてあったチラシを見て」
一方でイタリアの有名スポーツ誌である「ガゼッタ・デロ・スポルト」のインタビューではサッカーを始めたきっかけについて冨安健洋は以下のように答えています。
初めは水泳をしていた。5歳だった。姉たちがサッカーをしていて、僕も始めるところだった。
怪我をして、水の中に入れなかった時に、家でサッカーチームのチラシを見たんだ。特別でしょう?
このインタビューを見る限りでは偶然に偶然が重なったことがきっかけでサッカーを始めたというのが分かります。
「怪我をしていたから代わりのスポーツを目にする事になって、家にサッカーチームのチラシがあったからたまたまサッカーを選んだ。」
もしこれが野球チームのチラシだったら野球をやっていたのかもしれません。
もしくは怪我をしていなかったらそのまま水泳の道を進んでいたのかもしれません。
しかし、サッカーをやるキッカケって「テレビでワールドカップの中継を見たから」とか「サッカーのアニメやゲームの影響で」という人が多いので、冨安健洋本人が言っている通り珍しいな~って思います。
冨安健洋がサッカーをしていなかったらどうなっていたか
この様にいくつかの偶然がきっかけでサッカーを選んだ冨安健洋ですが、もしそのサッカー界へのきっかけがなくて別の道を選んでいたらどうなっていたんだろう?
そんな事を妄想してみました。
水泳の方面などで才覚を表していたかも
元々サッカーを始める前は水泳をしていたという事ですから、もしサッカーをしていなかったとしても水泳の方面で有名選手になっていたかもしれません。
と、いうのも冨安健洋の特徴というのは恵まれたフィジカルと豊かなスピードがウリの選手です。
サイドバックというピッチ上の選手の中でも特に運動量が多いポジションをやっているのですから水泳をそのままやっていたとしても才覚を表していたでしょう。
もちろんキレイな水泳のフォームはタイム向上に重要な要素の1つですが、大部分はフィジカル勝負。
少なくともサッカーと比べたら水泳は巧緻性は必要ありません。
もしかしたらオリンピックに出れるくらいの選手だったかもしれませんね。
冨安健洋の特徴はフィジカルだから他のスポーツもイケる
上記でお伝えしたようにフィジカルに恵まれた選手だからこそ他のスポーツをしていても冨安健洋は成功していたのではないでしょうか。
たまたまサッカーに足を踏み入れるきっかけが揃っていたというだけだと思います。
元々サッカーを始めたきっかけも「足の速さに目を付けて勧誘した」ですから足が速いというのはそれだけで大きな武器です。
足の速さで勝てないからパワーで勝負とかに切り替えるのであって、もし誰にも負けない足の速さがあればそれで十分に相手にとっては脅威です。
だからこそその恵まれた運動能力は他のスポーツをやっても成功したんじゃないかと思います。
コミュニケーション能力が高いのも魅力
冨安健洋の素晴らしい点の1つがコミュニケーション能力の高さがあると私は考えています。
何故ならボローニャに移籍して1年目からコンスタントに成績を残すというのは単純にサッカーの能力が優れているだけではできないからです。
代表的な例を挙げると語学を勉強してからイタリアに計画的に移籍した中田英寿がそうです。
流石に移籍直後からイタリア語がペラペラと言う訳ではなかったですが、すぐに日常会話なら問題ないくらいに喋れる様になっています。
その後のイタリアでの中田英寿のプレーは今更語るまでもないでしょう。
同じように1年目から活躍し、他のクラブから声がかかるのは一定以上のコミュニケーション能力がある証拠です。
この事から冨安健洋は他の集団スポーツをやっていても一定以上の成功を収めていたんだろうなと思います。
冨安健洋のサッカーを始めたきっかけまとめ
冨安健洋のサッカーを始めたきっかけについて解説しました。
冨安健洋は今後の日本サッカーを代表する選手の1人になれるポテンシャルを秘めた選手です。
ビッグクラブに移籍して長友佑都の様な歴代最高峰のサイドバックになって欲しいですね。
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